企画編60「クリエイターは狂っていても良いけれど<作品が全て狂っている>は理解されません!」 第96回ウォーターフェニックス的「ノベルゲーム」のつくりかた

第96回 企画編60「クリエイターは狂っていても良いけれど<作品が全て狂っている>は理解されません!」
執筆者:企画担当 ケイ茶


ブログ用

他の会社さんや、個人のクリエイターがどうやってノベルゲームを作っているのかはわかりません。
ここに書かれているのは、あくまで私達「ウォーターフェニックス」的ノベルゲームのつくりかたです。

企画編一覧はコチラのページにまとめてあります。


ケイ茶です。

この世界は狂っている。
平気で人が笑いながら、本気で楽しみながら殺しあいをしている。
殺す事が生きる目的、生きるために殺すのではなく、殺すために生きている全世界の生物たち。

日常会話「あひゃひゃひゃひゃ」
「うおどsfげろえfげえr98えr」
「YAAAAA—」

 

まだ狂いっぷりが足りないかもしれませんが。
今日は「狂った作品」について考えてみたいと思います。

狂った作品とは、設定が狂っていたり、キャラクターが狂っていたりという作品の事です。(曖昧ですが・・・)
さて、このような狂った作品を生み出すのは「変わり者のクリエイター」か「狙っている」かだと思います。
後者の場合は、クリエイターが「何らかの目的を持って、その上で作品に狂った要素を入れた」になります。

では、前者の「変わり者のクリエイター」について少し考えてみたいと思います。

クリエイターは変わり者でOK。むしろ狂っているくらいでも良いかもしれません!

クリエイターが普通の人で、普通の当たり前のことしか考えていないのであれば「普通の常識的な作品」しか生まれません。
クリエイター自身の変な考え方や変わった部分、狂っている部分があるからこそ「面白い作品」や「変わっている作品」に繋がっていくと思うのです。

だから、クリエイターといえば、変わり者だね!と言われたらそれは嬉しい事だと思います。
~~さんって普通だよね。と言われるより、あの人いっつも変な事ばかり言っているし、何考えているかわからない。
の方が作品を作るのには向いているはずです!

ただし!よく考えてみてください。
クリエイターは変わり者ほど人とは違った作品を作る事ができるかもしれません。

しかし、現実世界で「そこまで極端に狂ったクリエイター」ってなかなかいません。

もしかしたら完全に狂ったクリエイターもいるのかもしれません、誰にも理解されず「変な作品」「斬新な作品」を出し続けるような超変人型か超天才型のような方が!ただし、普通は「考え方や行動が一部人と違っているけれど、人間社会の中で生きているクリエイター」が多いはずです。
でも、このタイプの方が実は面白いと思ってもらえる作品を作るのには良いんじゃないか?と私は思うのです。

「人間社会の中で生きているクリエイター」が良い理由。

なぜ、このタイプが良いと思うのは。
それは「狂った部分と一般的な人間の考え方」両方を持っているからです。

クリエイターが完全に狂っていて、その人から作品が生まれたら確かに斬新で狂ったものが出てくるかもしれません。
それは確かに凄い事です・・・が、その作品が多くの人に理解されるかというと、凄く難しいと思います!

作品の冒頭から終わりまで「あひゃYははほえJJ」「ぐあえおいおあじおお」「5おゆR9お」
というような内容だったら誰にも理解されません。
クリエイターの狂った頭の中の世界が作品に投影されただけなのです。

上記はあくまで極端な例で、本当に凄いクリエイターというのはもしかしたら、自分の世界を完全に出して面白い作品が出せているのでしょう。
多分、それはクリエイターの中でも相当少ない人数だとは思いますが・・・。
(もしかすると、クリエイターというより芸術作家や完全に自分の作品にこだわり他者を気にしない人に多いのかもしれませんが、どうなんでしょうかね?)

ちなみに、極端な世界観の作品=人を選ぶ作品。
それは一部の熱狂的なファンを作る事が出来る力も秘めているのです。
好きになる、共感する人は少なくとも、一部のファンの間でずっと大切にされていく作品になりえます。

 

では、本題に戻ります。
多くのクリエイターは人間社会に「それなりに普通の人間」として生きています。
それなりに人に合わせて生きていますし、普通に生活もしています。
それなりに人と会話も出来るかもしれませんし、常識的な部分で人の考え方もわかりますし、共感もできるはずです。

という事は、そのクリエイター達は「自分の中の狂った部分」と「一般的な人間としての常識」の両方を持っていることになります。
=自分の狂った部分を理解しつつ、普通の人の考え方もある程度わかる。という事ではないでしょうか。

そのため、作品を作る際には「自分の狂った世界」を出しつつも、以下のような事を考える事が出来るのです。

・この狂った世界は普通の人から理解されるのだろうか?

・この狂ったキャラクターは普通の人から理解されるのだろうか?

・この展開は斬新だけど、それは本当に多くの人の求めているものだろうか?

等です。

これらを照らし合わせると、例えば「世界観は狂っていて理解がされないかもしれない!でも、キャラクターの感情は多くの人が共感できるものにしよう」
というように考えられるのです。

ちなみに、私の場合は
「狂った世界」や「狂った設定」は大好きですし、自分でもどんどん作りたいと思います。

でも、キャラクターの感情面においては「そのキャラクターの考え方の理由」=共感が出来るように。
は狂わないようにと考えています。

個人的な結論ですが・・・
キャラクターの行動理由や感情以外は全て狂っていてもok。
ただし、キャラクター部分(多くの人はキャラクターを応援したり、自己投影する事で作品を楽しむはず)だけは完全に狂ってはいけない。
キャラクターが狂っているのであれば、狂っている納得できる理由が必要。だと思っています。

キャラクターが最初から最後まで狂っていて、それがそのキャラクターの特徴です!
これでも問題ないかもしれませんが、かなり人を選ぶかと思うのです。

それに、全員が全員上記のようなキャラクターだったら本当にわけのわからない作品になりそうな気がします。

私も自分自身、どこまで変人で、どこまで普通の部分があるのかわかりませんが、完全に狂っていても、完全に普通。
その場合はクリエイターとしては極端だと思います。

狂っていつつ、ある程度は狙う(多くの人が楽しめるように)事が出来る人こそ、面白いものを作る事が出来るんじゃないか?
そこを目指していきたい。と思うのです。

 

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